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昨日、呑み会で暴露(?)してしまったことがあるので、こちらでも話してしまおう。

 僕、実は対人恐怖症の気があります。

 

 つーても、生まれつきなものではなくて、後天的なものだと思うんだけどねぇ。ただし、その原因となったのが生まれつきの欠点みたいなんよねぇ。

  

 僕、空気を読むってことが基本的にできません。じゃ、応用的にできるのかと言いますと、過去の経験から学んだことを利用して、その場の雰囲気を解釈しております。なので、普通の方より場を読むってことが遅れるんよね。

 ここで『空気が読めない』人の発想について簡単に書きますと、普通の方は会話の文面と、周りの状況を瞬時にミックスして、その場の状態を意識することなく理解することができると思うのですが、『空気が読めない』人は、会話の文面とか、その場の表層的な物だけで判断してしまい、トータル的にどんな風になっているのかが判断できないんです。

 簡単に例を書くね。例えば、あなたが誰かから挑発行為を受けたり、何かおかしな行動を取っているのを見たときに『良い度胸してるな』って言ったとします。普通は、これは呆れに近い意味だと思うのですが、その場の判断能力に欠けている人は、『良い度胸をしている』ってのが、褒め言葉と勘違いして、その行為が正しいと勘違いしちゃうんですよ。度胸があるってのは多分プラスの意味だと思うし、良いって言葉は基本的にプラスの意味を持っていますよね。なので、その組み合わせで褒め言葉と勘違いしちゃった高校生の頃。

 あと、相手を微笑みながら注意とかしたら、その行為が相手を喜ばすものと勘違いして、普通だったらそこでそれは悪いことだと判断するのところを、良いことだと勘違いしちゃうんですわね。で、気が付いたら人間関係ボロボロよ。

 ただ、本人は良かれと思って行動しているんよね。勿論、世間一般的には間違っているよ。でも、予想していた結果と現実が大きくずれてしまって、その結果人間嫌いにまでなってしまったと。尚、お読みになられている方がご心配されるかもしれないので、フォローを書いておきますけど、ある時期に非常に対人運が強かったのか、あるクラスが僕にとっては一種のセラピーの場所になったことがありまして、そこから少しずつ良い方向に向かっていきました。一応、念のため。 尚、僕の考え方の何かが根本的に間違っているってのに気が付いたのは26歳のときです。正確には、26歳と9ヶ月。そこから約14~5年ぐらいかかったかなぁ、自分がどうして間違えたのかが分かるのには。

   

 あと、空気が読めなかったので、簡単に騙されることが多かったんよね。それこそ、小学生の頃とかしょっちゅう騙されて、自分の身を守るためにも他人を信用しなくなったってのがあるんよ。一人で遊んでいる分には誰も騙さないから、一人で遊ぶのが好きだったし、読書は自分のペースで出来るから、読書が好きでした。尚、僕がたまにする皮肉的・悲観的な発言等は義務教育時代のトラウマが主な原因になっていると思います。特に小学生の頃は嘘ってのが分からなくて、騙されて、みんながそれを楽しんでいるみたいなので僕も嘘をついたら今度は叩かれて ってのを無限ループで繰り返していたわ。w

   

 とは言うものの、今の僕は多分社交的なイメージが強いのではないのかと思います。まぁ、産まれついての性格は社交的な方ですし。ハイハイ歩きのころから、お客さんが来ると喜んで出て行ったみたいだし。

   

 で、重要なのが、『僕はどうしてそうなったのか』ではなくて『僕はどうやって、一般人に近づくことができたのか』だと思うんよね。僕と同じような迷路にはまった人はそれなりの数いると思うし。別に迷路から抜け出したわけじゃないけど、迷路の壁をよじ登るぐらいのことはできたんじゃないのかなぁ、と思う今日この頃だし。

   

 まず上げられるのが、こればっかしは何の参考にもならんですが、対人運が強いってのがあると思います。壊れた人格って言われても仕方が無いレベルだったんだけど、一緒に遊んだり、語ったりするお友達には恵まれていると思うのよね。これに関しては、僕にとって2番目に強い運だと思っています。因みに、1番目は命に関する運。これはずば抜けて強いと思う。

 じゃぁ、どうやったら対人運を上げることができるかですなぁ。色々と考えてみたんだけど、たちまち挨拶と笑顔かなぁ。挨拶の重要性に関しては、過去に何度か書いているから省略するとして、笑顔の作り方についてでも書くとしますね。尚、この方法は、世界中に色々な「笑顔の作り方」があると思うのですが、その中でも多分最悪つか絶望的なやり方です。なので、真似をすると何か失うかもしれませんので、参考にするときには自己責任でお願い致します。

 

いや、一時期全く笑わなくなったことがあって、さすがに問題があると思って考えたのよ。21~22ぐらいの頃に。因みに、別に何かの不幸があったわけじゃなくって、聴く音楽はプログレとかの難解と言われそうなジャンルで、好んで読んでいた本がカフカ、カミュ、フォーサイス、チャンドラーとかどうやっても笑いそうに無いジャンルだったんよね。なので、笑う必要性がなかったわけなんよ。じゃ、当時やった方法を書くね。

  

準備するもの:瓶・鏡

1:初恋の相手とか何でもよいので穏やかになったり、ほんわかしたりすることを思います。

2:心が満たされたら、準備していた瓶で足の脛を叩きます。

3:痛みが我慢できなくなったら、準備した鏡を取り出して、無理やり笑顔を作ります。

4:これを数日間やっていたら、どんな感情がでてきても笑顔になります。例えそれが怒りでも。

  

 世の中にはもっと良い方法があると思うので、そちらを基本的には参照してね。よいよどうしようも無くなったときに、この方法をアレンジするなりしてお役に立てて下さい。但し、それから先の責任は取らんよ。あくまでも自己責任でお願い致します。

   

 何か、希望的なことを書こうとしたら、絶望的な文章になったな。話しを戻さなきゃ。

  

 そう言えば元々の話に戻るけど『空気が読めない』ってのがあるじゃないですか。これね、要するに周りの状況が理解できないってことに近いと思うんよ。見方を変えると、普通の人が恥ずかしいとか、恥と思えることがあっても、『空気読めない』人にはそれが分かりにくいと思うんよ。あくまでも僕基準の考えですが。だから、普通の人だと心のハードルが高すぎてできないのに対して、僕らはそのハードルがわからないからハードルとか何もかもを無視して突っ走ることが『できる』と思うんよ。僕の場合は、音楽が凄く好きだから、テクニックも無く、超絶音痴なのにバンドをやりたいと思い、オリジナルがやりたかったから出来具合どうこうを考えずにオリジナルバンドを結成したり(幸い、協力してくださる方々に恵まれたのと、一部では受けたってことがあって楽しくさせて頂きました)、今でも技量あるなし考えずにDTMでオリジナルアップしているからなぁ。しかし、音痴だけはどうにかならんか。『空気読めない人でも、空気読んじゃうレベル』の音痴だぞ、僕。

  

 もしも何か情熱を注ぐことができる趣味があれば、それを思いっきりやってみるってのが良いかも。出来栄えどうこうもあるだろうけど、作品を出せば、出さない人よりは評価されるんよ。バンドやって分かったんだけど、例えステージが10cmぐらいの段の上だとしても、そこに上がることが出来るってのは、上がらない人からすると随分上に見えるんよね。大学時代2年間ぐらい自分のバンドが無かったけど、軽音学部にいた僕が言うから間違いない。2年目の学園祭までは大変だったのよ。2年生の頃とか参加しているバンド0だったのに、部活での初の模擬店の店長をやっていたからなぁ。

  

 趣味が無い場合はどうするか。

  

 あんまり薦められた方法じゃないとは思うんだけど、自ら喋らないようにするしか無いかなぁ。状況の把握能力があまり良くないから、間違いを起こして頭を抱えるよりも、たちまち愛想笑いをして自らは発言しないってのが無難かなぁ。端から見れば頭が緩い人に見えるだろうけど、トラブルメーカーになるよりは幸せだと思うの。

  

 世界を変えることはできないけど、自分を変えることはできるからね。

   

 話を最初に戻すけど、僕の対人恐怖症(と言うより、人が苦手って言うべきかしら)ですが、普通に会話をするには問題ないのですが、電話での会話が今も苦手です。つか、これだけは就職してから苦手になりました。聞き間違いとかでミスを犯す可能性があるからね。なので、会社勤めをしていたときは、ちょっと遠くでも相手方のブースを訪れて、面向かって話をするようにしておりました。その結果、凄く丁寧な人と思われて、ラッキーなことになりましたが。世の中、何が幸いするのか分からん。

   
  

 今日は、珍しく と言うより多分初めて、僕の本質を書きました。念のために言っておきますけど、別に僕が不幸ってわけじゃないよ。ただ、多少面倒くさいんだわ、自分の生まれつきの本性ってのが。w

 
    

 いじょー。

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