先日、ツィッターで懇意にして下さっている方との会話の中で、ピンクフロイドの『狂気』ってアルバムが僕の人生を左右したってな話をしたらご興味をお持ちになれたみたいでした。で、まだこの話を書いていなかったみたいなので、今日書いておきますね。
まずは前提として、それまでの僕の音楽関係の話を。物凄く簡単に書くよ。
・小学生の頃にピアノを習った(習わされた)のだけど、特に興味持てないまま終了
・中学生に入ってすぐにビートルズの洗礼を受ける。それまで無趣味だったのだけど宗教レベルでビートルズにはまる
・高校生に入るころにビートルズの曲213曲中の209曲を新品で購入済み(当時、中古はあまり好きではなかったのよ)。あと、ポールとジョンのソロも買っていた。ジョージは1枚購入(尚、このアルバムには相当はまった)
・高校生になってビートルズ意外の曲を聴いてみることに。一番はまったのはポリスかしら。尚、中学時代に一番最後に買ったLPはポリスのシンクロニシティでした。
・クィーンには相当はまる。詩集を買い、持ち歩くレベル。因みに、僕の趣味の中に詞を読むってのがあるのですがロック関係の詞だったりします。
・友達にハワードジョーンズとか、ゲーム音楽(SSTバンド、ズンタタ等)を教えてもらう。あと、YMOにも結構興味を持つ。
そして、ある意味重要なのが
・ヘヴィで、スローで、人生のダークサイドを歌っているような曲を探す
ってのがありました。高校に入ってヘヴィな曲に結構はまったのよ。但し、元々暗かったり重い曲は好きみたいでして、例えばフィンガーファイブの歌で彼女が交通事故で死んでしまうってな暗い曲に何故かはまっていたり、「およげたいやきくん」の2番目の歌詞が好きだったり(死を扱っているからと思う)、小学生1年生の頃まで遡って考えるとゴレンジャーで流れていたバリブルーンの歌のメロディが好きでした。元々マイナーコード系が好きなのかもしれません。普段はメジャーコード系統が好きなはずなのですが。尚、大学生になってジャムセッションをしたときに僕の弾き方は思いっきりマイナーコード主体って言われたこともあります。
で、ある日のこと。確か昭和61年(1986年)9月6日よりちょっと前のことですが、ポールマッカートニーの(当時の)新譜『プレス・トゥ・プレイ』が発売されました。で、家ではLPをカセットに録音する環境が無かったので、お友達のA君にそれをお願いいたしました。因みにこちらのA君は先ほど書いたハワードジョーンズとかゲーム音楽を教えてくれた方です。他にも色々と教えてくれたのよ。A君は当時発売されていたFM雑誌に載っていたベストアルバム100を借り続けておりまして、僕も色々と教えてもらっていたのよ。
で、一週間後の9月13日(土)。今度はウィングスのアルバム『ヴィーナス・アンド・マース』の録音をお願いいしようとしたら、そのA君、因みに彼の名字の一文字目が「あ」だからA君と書いております。手抜きとかじゃないわよw で、そちらのA君があるアルバムをレンタルしてくるって話していました。
で、そのアルバムなのですが、どうにもこうにも変なタイトルだったんですよ、邦題ですが。そのアルバムのタイトルは
狂気
でした。ピンクフロイドって言うバンドがやっているみたいです。どっかで聴いたような気がしたから調べてみたらポールマッカートニー及びウィングスのアルバムにギターの人が参加しているんじゃね。ザ・フーってバンドの人もか。レッドツェッペリンはこの間聴いたな(当時の話)
で、僕がそれを聴いたときに思ったのが
一体、Aに何があったんや?(狂気と言うタイトルから) こいつが悩み苦しんでいるのなら助けないと
でした。助けるも何も17歳の僕には何もできませんが。因みに先ほど書いた9月6日で17歳になりました。
で、どんなドロドロで頭がおかしくなるようなアルバムなのかと思ったけど、先述したA君が当時行っていたFM雑誌でのベスト100うんぬんの中の一枚みたいだし、興味本位で僕のカセットテープにも録音してとお願いいたしました。因みに、当時は今と違って結構ゆるゆるだったんよ。
で、録音してくれました。手元にはマクセルのクロームテープ(XLⅡだったような気がするのだが)に録音された『狂気』って言うタイトルのアルバムが。
ここで閑話休題。僕は当時このアルバムがどんなアルバムなのか想像していたのですが、それに近いアルバムが実際にあったのでそちらへのリンクを貼っておきますね。国内版は無いアルバムです。打ち込み系の人がいきなりラブクラフト関係のホラーに触発されて作成したアルバムとは聞いたのですが、本当かしら。 → ♪
で、聴いてみました。クラスメイトのK君と二人で。当時二人でカセットを聴けるような端子を持っていたのよ。
でだ、初っ端のスローな展開と言うかだるさと言うか。K君を目を合わせて無言での会話が
ナニコレ?
でした。正直に言います。この出だしにはついていけませんでした。で、On The Runの辺りで二人とも???????????????????な状態になってしまって、K君との会話がジェスチャーなのですが「リバース機能を使って、さっさと最後の曲にしてしまおう」でした。で、僕も「そうだね」って思いリバースボタンを押しました。すると、
ダークでヘヴィーな感じのメジャーコードで書かれたバラードナンバーが
僕の人生において脳みそを直接殴られたようなショックってのは3回あるのですが、これが最後の3回目でした。どちらかと言うと目からウロコが凄い勢いで落ちていくような感覚でした。あのとき、間違いなく瞳孔が開きっぱなしになっていたと思うわよ。
んで、帰宅してから一人でこのアルバムを再度聴きました。B面の流れが凄くはまりました。
で、ここから話が物凄い展開に行きます。人によっては爆笑しかねないので口の中に物を入れずに読んでね。ディスプレイ等に損害があっても責任取れないわよ。
で、このアルバム、特に"Brain Damage ~ Eclipse "に物凄く心を奪われた僕、続いて歌詞カードを入手しました(当時は今と異なってかなりゆるゆるだったのよ。レンタルLPの歌詞カードコピーとか出来たのよ。有料ですが)。
歌詞を何度も読み直し、意味を理解しようとし、冗談抜きで一心不乱にこのアルバムに入れ込みました。
そしてある日、ある見解に達しました。その時の脳内での考えはかなりはっきり覚えているので、そのまま書きますと
どうして、僕はこのアルバムにここまで入れ込むんだろうか?
そうだ!僕は正気ではなくて、狂気(サイド)の人間だったんだ!!!! (・∀・)
何を言っているんだい?ってな感じはされると思いますが、これが当時の僕(17歳)にとって青天の霹靂と言うか、滅茶苦茶ヒットした考えでした。いや、と言うのもね、生まれつきとは思うのですが本質的にASD(自閉スペクトラム症)があるみたいでして、それ故に結構大変な小中学生時代を生きたのよ。今は、その手の言葉があったり理解があったりするからまだいいけど、僕の頃はそんなの無かったからねぇ。えぇ、結構大変でした。イジメとか日常茶飯事だったしなぁ。ここのところの話をするとこれまた長くなるので割愛いたしますね。気が向いたらいつか書くかも。アスペルガー障害の検査に行った時の話とかも。念のために書いておきますけど、ちゃんとお医者さんに相談した結果の話ね、ここの部分は。
話を戻して、それまでは自分が正しくて世の中が間違っているってな近視的な考えがあったのよ。まぁ10代だから仕方ないのかもしれんけど。ですが、このアルバムに降れたことによって価値観が結構変わってしまいまして、間違っていたのは自分だったと気が付き、納得したのよ。
で、それからの日々は幸せでした。いや、あれは本当に幸せだったわ。何かの呪縛から解かれて、生まれて初めて、つか、やっと自分が自分と融合することが出来た感じだったのよ。あの日々は本当に楽しかったし、幸せでした。ひょっとしたら僕の人生の中で一番幸せだった日々かもしれません。
但し、それは3日間で終わりましたが。
3日間ってのは本当です。今もはっきりと覚えています。
ある日の放課後。多分10月ぐらいじゃないのかしら。学校の校門を出て右側に曲がって、坂道を下った時のことです。 尚、僕が通っていた高校は広島県立安古市高等学校と言います。グーグルマップで検索したら今からの話の場所がある程度分かるかもしれません。
校門を出て、右に曲がって、坂道を下って少し行ったところに、右手には校庭の端にあるバスケのコートだったかな?がありました。
そこで僕は夕日を歩きながら眺めて、ふとこんな事を考えだしました。
僕は、自分が狂気だったってことに気が付いて(安心して)喜んでいる。でも、狂気を知っていると言うのならば、対峙する『正気』とは何かを僕は知っているのだろうか?
僕は自分が狂気ってことにして、単純に喜んでいるだけではないのか? もしも、自分が狂気ってのを知っているのならばその対となる正気について自分は知っているのか?
俺は安易に考えていないか?
ってな事を考えたと同時に
いや、それに関して考えるのは止めよう。不毛な論争になるかもしれないし、何よりも自分にとって(それを考えるのは)辛い道になる。
自分が狂気でいいじゃないか。それで人生を楽しもうよ
そして僕は自分に一つの選択を迫りました。
自分が狂気と断定して、楽に生きる
何が狂気(及び何が正気)なのかを、苦しいだろうけど考えてみる
そして僕は、辛い方を選びました。『何が正気で、何が狂気なのか、その境目を俺は見出してやる!!』と、誓いました。今、これを書いていて思うんだけど、こんな青春もありだったのかも。今、初めて思ったわ。
さて、狂気に対して本気で焦点を充てることにした当時の僕。まずやったのは狂気に関して書いている本を読むこと。そこで、当時かなりの読書好きだった僕が色々と探してまず最初の取っ掛かりとして選んだのが、
アルベール・カミュ
でした。本当のことを書きますけど、異邦人はそこまで何も思わなかったです。だがしかし、シシューポスの神話の中にある『不条理と自殺』が。あのオープニングはマジでロック。
そんなわけでして、詞と哲学思考にはまった17歳が1986年(昭和61年)の10月か11月頃に生み出されました。
それからは読書と音楽趣味が凄いことになりまして、細かいところは端折りますけど、僕がいたクラス(2,3年6組)の男子勢からは哲学科を、女子勢からは音楽関係の雑誌への就職を薦められるような存在になりました。ここのところも書こうとしたら長くなるのでパス致しますが、僕が日頃言っているのが『僕はこのクラスでもう一度産まれた』なのよ。凄いね、ピンクフロイド。ここまで人の人生を動かしたわよ。
因みに当時の僕の行動で多分一番受けていたのが、英語の授業中に行われた詩的表現&哲学談義だったと思います。つーのもね、英語の先生で凄い人がうちの高校にお越しになられてうちのクラスを受け持って下さったのよ。佐伯先生って仰いますが。その先生が詩的表現とかについて皆に質問されることがあったんよね。で、僕までの皆は普通に答えていたのですが、僕が独自の意見を述べて、先生とのやり取りがあったりして、それが意外にもクラスメイトに受けちゃって、しばらくたってからは僕が一番最初か一番最後に当てられるようになりました。これは楽しかった。本当に楽しかった。尚、そのころにはキングクリムゾンとかジェネシスとかELPとかの洗礼済みです。イエスに関しては少し遅かったのよ。でも、17歳の時にクリムゾンの1stや、ジェネシスの(フォックストロットの後に出た)ライブを聴いたってのはある意味凄くね?ある意味ラッキーだったと思うわよ。尚、同時にインビジブル・タッチとか、ビリージョエルのナイロンカーテンとかも聴いたり。フロイドの原子心母を聴いたのも17歳だし、谷村新司の歌を自分の十八番にしたのも17歳なんだわ。そんなこんなで、17歳には物凄く思い入れがあるのよ。
んで、高校を卒業して一浪して大学へ。ほとんど楽器が弾けなかったのに軽音楽部に入部して、四苦八苦した挙句やっと3年生で自分が思っていたようなバンドを組んで(尚、内容はベンチャーズのカヴァー)、そのバンドが音楽性の相違とかで空中分解をしたりしながらも他にバンドをやったり、オリジナルバンドをやったり。それから大企業を蹴って中小企業でもいいから東京に行くんだと言い張って、結果最初のボーナスは15,000円だったかな?たちまち東京へ。尚、当時勤めていた会社の名誉のためにも書いておきますが、確かに仕事は午後9時半までってのが多かったけど、残業代は全部出ていたので結果的にホワイトでした。まぁ、基本給とかのもあるかもしれんが、仕事内容と給料のあれこれを考えるとどう考えても良かったような気はしているのよ。
そして、色々とあって広島に帰ってきたりしてあれこれがありました。
17歳の青年は51歳の壮年になりました。なんか、狂気に収録されているTimeの歌詞みたいやね。
いつかはこの想い出を書こうと思っていたので、たちまち書いてみました。尚、狂気と正気に関しての思考に関する結果ですが、負け戦だったってことだけ書いておきます。
今までの人生で良いことも悪いことも沢山経験してきました。世界の王にでもなった気分もあれば、靴底の下で這いつくばって地面に顔面を押し付けられたような日々、つか、ストレートに書いちゃうけど死んじゃおうかなとマジで考えた日々もあったよ。
こっからの人生がどうなるかは分からない。ただ、時折見えるのが、僕には17歳だった時があったんだなって事です。僕が、自分を初めて認識して、心を開いた時が。
以上、ピンクフロイドのアルバム『狂気』に関連した僕の想い出話でした。
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